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ミュージアム人物列伝Ⅳ

2018-08-19 AM 11:35 by office

 藤波テニスミュージアム人物列伝Ⅳです。本日ご紹介するのはテニス指導者でもなく、プレーヤーでもなく、そして貴重な資料の提供者でもありません。

故 大森稟世(おおもり りんせい)能都町軟式庭球協会長(当時)です。氏は、歯科医として昭和58年から平成4年までの5期10年に亘って会長を務められました、軟式庭球協会長をされる以前には能都町の体育協会長をされたこともある人望と行動力と信念を持っておられた方でした。

軟式庭球協会長になられてからは、「テニスで町起こし」の理念の基、様々なテニス大会を誘致し大会の成功に結びつけて来られました。

能都健民テニスコートが昭和58年に竣工すると翌59年インカレ、60年インターハイ、62,63、平成元年と3年連続の全国小学生大会、2年には国体リハーサル大会としての実業団大会、3年石川国体、4年東日本選手権、全中と毎年全国レベルの大会を開催し全国に「能都町(のとまち)」の名前を発信し続けてきました。

この間、軟式庭球だけではなく今開催している能登町(のとちょう)の  夏の風物詩である関西薬学生硬式庭球大会も昭和62年に誘致し今年で31回目の開催となっています。

氏は、町の活性化のために大会の誘致のみならず、私費を投じて町独自として大会も企画、開催し県のソフトテニス発展に尽力されました。

平成8年8月 この年も暑い夏でした。だままだ「町づくり」の道半ばの68歳という若さで亡くなられてしまいました。氏が亡くなられてからの能都町(のとまち)はここから長い低迷期を迎えることになってしまいました・・・

氏のあらゆる意味での偉大さが、当時も今も強く感じてしまいます。

ミュージアム人物列伝Ⅲ

2018-06-27 PM 2:20 by office

藤波テニスミュージアム人物列伝第3弾です。多くの人物列伝の中で誰を3番目に紹介しようかと悩んでいたのですがやはりこの方しか居ないかなと?故山田良平先生です。(現在の能登校は宇出津高校、能都北辰高校と校名を変えて平成21年から能登青翔と北辰が統合し能登高校となりました。)

山田先生は能登から日本一の選手を育てたいと昭和45年(1970年)から宇出津高校ソフトテニス部の専属コーチとなり石川県高校総体では男子団体10連覇、女子団体6連覇を達成。インターハイでは昭和51年男子団体3位。個人では昭和54年に洌崎満、石田茂樹ペアーで悲願の日本一を達成し宇出津高校の黄金時代築かれました。

先生は大正9年旧鵜川町に生まれ豊島師範学校(現東京学芸大学)に進学しテニスに熱中し東日本大会など数多くの大会で優勝を飾ったそうです。戦後は地元に戻り中学校の教員となるが体調を崩し退職され、スポーツ・書籍用品店を営みながら地元中学生を指導されていました。『テニスばか』になるなが先生の口癖で『テニスをとおした人間づくり』を目標に掲げていました。

その教えは今でも脈々と引き継がれておりたくさんのOB、OGが今でも有形無形で応援し続けています。

昭和60年(1985年)石川インターハイが能都健民テニスコートで開催されたが、その直前に肺がんのため生涯を閉じられたが、先生の功績を顕彰しようということでOB、関係者が中心となり多額の寄附が集まりコートの前に胸像が建立されました。

2021年2度目のインターハイが能都健民テニスコートで開催されます。3年後このコートで活躍する選手もずっと見守り続けて欲しいものです。

テニス/中興の祖

テニス/中興の祖

ミュージアム人物列伝 Ⅱ

2018-04-19 PM 12:04 by office

藤波テニスミュージアム人物列伝第2弾です。藤波テニスミュージアムには、とても沢山の方々の歴史と情熱、宝そして涙と感動を感じることができる施設です。

東京ドームには、野球殿堂博物館がありますが昨年初めて見学しましたが、とても素晴らしいものでした。藤波とは規模も違いますがやはり歴史の重みと深い感動を感じることができました。

 さて、写真の人物ですが故 井東節太郎氏です。明治40年頃には能登町 鵜川地区の子供たちが神社や運動場で板で作ったラケットでテニスの真似ことをしていたと記録が残っています。正式な軟式庭球の発祥は氏が大正3年鵜川尋常小学校に赴任し紹介したことに始まっています。本格的なテニスを伝えた氏は金沢の社会人スポーツクラブ「金城団」に所属し、県のトッププレーヤーとして活躍していました。明治43年に東京師範学校に入学し、能登町においては鵜川、宇出津、三波小学校に赴任して軟式庭球の普及に力を尽くした。

大正10年ごろには、鵜川、宇出津、瑞穂、三波で次々と社会人による庭球団が結成、庭球団主催の大会も各地で行われた。宇出津庭球団(のちに牛湾倶楽部として再結成)は井東氏が発起人となり14人で結成された。また宇出津小学校の指導者として、神和住正・馬渡勇組を第3回石川学童大会優勝に導いた。百年目のLOVE ALL より

右のラケットは井東氏が使用していたラケットです。グリップやその形状をみると一見すると硬式のラケットかと思われますが当時は硬式、軟式の区別なくプレイしていたそうです。このラケットについては、ミュージアムの資料整理に大変お世話になった                                   近代テニス史リサーチャー 岡田邦子氏に詳しく調べていただきました。

ラケットの由来                                                                                                        中村継次郞が経営する養老商会の製造販売品であると判断される。石川師範学校を卒業して小学校に赴任後の1914(大正3)年5月~9月の間のある時期に、おそらく研修で東京高等師範学校(高師)に在籍していた井東氏が購入したものと思われる。明治45年創業の養老商会は高師近くの小石川区大塚坂下町で営業していて、輸出も行っていた。

ぜひ、興味のある方一度鑑賞にお越しくださいませ。

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