阿武松緑之助 後編

2008-03-03 AM 8:54 by office

 一八三五年(天保六年)十月場所を最後に引退し、力士生活の幕を閉じた。時に四十五歳であった。序の口に姿を見せてから、二十一年、三十九場所でという驚異的な土俵寿命で、一場所も負け越したことがなかったという。
 横綱在位十五場所、五回の優勝を飾った。序の口依頼三十九場所で三百十六戦して二百三十勝、四十八敗二十五分け十預、三無勝負で勝率八割三分。
阿武松は、身長五尺七寸(一㍍七十三センチ㍍)体重三十六貫(百三十五キログラム)色白の肥満型で、稲妻、緋緘(ひおとし)とともに「文政角界の三傑」と呼ばれ江戸、文政の相撲隆盛時代を築きました。

 阿武松に関する逸話もたくさん残っています。
羽咋神社の神事唐戸山相撲をはじめ能登各地の草相撲で負け知らずの話や千石舟を一人で引き揚げたとか、松の大木を引き抜いたとか、または、天狗との力くらべに勝ったというような怪力話や飯櫃を椀にして飯を食ったとかいう話が伝えられています。
 また長吉(阿武松)が無類の声良しで知られ、七見桜木神社前を通り過ぎようとした時、桜木の神が現れ「その声と力をかえようではないか。」と言われ、天下無双の怪力を与えられたという。

 もとより事実とは思われない話もありますが、常人とかけはなれた力の持ち主であったことを物語っているのではないでしょうか。
 現在能登町、七見の生地に「横綱阿武松」の石碑が建っており、台座を含めると高さ五一五センチメートルの力士碑です。この地方を力士が巡業する時は必ず立ち寄り参詣するそうです。

 能登町民話集(能都町)編はひとまず終了しますが、柳田編、内浦編がまだ残っています。調べることができ次第徐々に掲載したいと思いますので楽しみにしてお待ち下さい。

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