鵜川の天満宮の由来聞書

2008-02-21 PM 3:49 by office

 鵜川の天満宮は、菅原道真公の御霊を祀ってあります。その由来を尋ねると、六十六代一条天皇の正暦年中(990~995)の十月七日、このあたりの浦人らが夢のお告げにより、海岸を訪ね歩いたところ、菅原道真公の尊像が波に漂っていました。漁師の人々は非常に喜び、集まって相談し、大己貴命、少名彦名命、木花開耶姫命を祀ってある桜木明神の社地に社を建ててお祀りしました。
 この海岸を寄地と言い伝えていますが、尊像が漂い寄ったためといいます。

 また、そののち第百五代後奈良天皇の享禄年中(1528~1532)のことですが、鵜川の馬場という町内に婆々という身分の低い女がいました。この人が夢うつつの中に「自分はこの土地のうぶすな神である。末永くこの土地の繁栄をお守りしよう。早く自分の社をこのあたりに造って欲しい。」と二晩続いてお告げがあったので、その村の長であった伝兵尉栄にこのことを伝えました。そこで村の主だった人々が相談をして、翌年の三月二十一日に今の境内に移られ静まり給うことになったということです。

 この社の見おろしの南通りを馬場町というようになりました。これは「婆々」という言葉の転じたものでしょう。
その頃はまだ人家も少なく、鵜川、七海、小垣、藤屋、竹原、太田川の六ヶ所に分かれ、耕作あるいは漁業の都合のうえ住んだものでした。

 言葉の解説
大己貴命とは大国主の若い頃の名前です。

少名彦名命、
日本神話では、素戔鳴尊の直系の血を引く国津神の王・大国主が出雲国の美保岬にいた時、海の向こうから小さな船が彼に近づいてきた。そこには蛾の皮を着た極めて小さな神が乗っていたという。それがスクナビコナである。そしてそれを機にスクナビコナは大国主と兄弟の契りを結び、国津神の仲間となり、彼らの国を助けたという。国造りを終えたあとは、スクナビコナは粟の茎にはじかれて、海の彼方にあるとされている常世の国に去って行ったという。
 木花開耶姫命
日本神話に登場する女神。オオヤマツミの娘で、姉にイワナガヒメがいる。ニニギの妻として、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を生んだ。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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