能登町民話集をご案内します。今回は少し長いので前編、後編と2回に分けてアップします。
町野川の上流に上町川があります。この川のさらに上流に藤ノ瀬という地区があります。そのほぼ中央にある小高い丘に火宮神社と姫滝神社が鎮座しています。この両宮にはもともと辺津彦、辺津姫という神が祀られていました。

 昔、両宮は小角ヶ浦(おづがうら)という藤ノ瀬を流れる川が海に注ぐあたり、今の時国の湊あたりに鎮座していました。その頃は入り江が奥深くはいって、湾の中は水深く、大小の船が朝から晩まで絶えず出入りする外浦第一の良港でした。

 奈良天平時代(七二九~七四八)大伴宿弥家持が能登の国守になって巡視に来た時、ここから珠洲路に入ろうとしましたが、、道がはっきりせず、木の根や岩で通りにくい陸路を通るよりは、海路の方がかえって安全であろうから船出しようということになり、船旅の安全を祈るためこのお宮に参詣に来ました。その時に一首の和歌を献上しました。
 「珠洲能海 吾古要牟止為彦神乃、心和免与、辺津乃比売神」(すずのうみ われこえむとすひこかみの こころなごめよ へつのひめかみ)

 これから辺津姫の神社というようになりました。代々の国守や船乗りたちが厚く信仰したので、延喜(九〇一~九二二)の御代に一七座に入るようになりました。

 文治の頃(一一八五~一一九〇)、平家の落人吉尾藤兵衛影春がここを領地としていましたが、建久の頃(一一九〇~一一九九)になって源氏方の追跡が段々厳しくなり、安心して小角ヶ浦にいることができなくなってきました。
 ある年の夏、源氏の捕り手が押し寄せたと聞き、二柱の神を奉持し、追いつかれてなるものかと一族郎党を引き連れて、川上を目指して逃げていきました。

 画像は姫滝神社

 ~後編へ~

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