宇出津港東端の入り口、遠島山公園の下あたりに蛭子神社(今は祠になっている)があります。
 藩政時代、遠く北海道に向かう船を「北前船」と称した頃より宇出津の漁師はイカ釣りや物産を運ぶため、船で何十日もかけ冒険的な往来をしていました。日本海の荒波や時化に遭い、難破・遭難の犠牲者が多くでたといいます。
 また、遠島山(城山)は古戦場であり、多くの討ち死にした亡霊のでる土地であると言われていました。

 北前船

北前船(きたまえぶね)とは、江戸時代から明治時代にかけて、大阪から瀬戸内海、関門海峡を経て、北陸などの日本海側の諸港を結び、後には北海道にまで延長された航路及びその船のことである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ある日、この亡霊を慰め、その霊籠を受けようという話が出ました。府玻八太郎氏は蛭子崎に大木で彫刻した戎(蛭子)を造り、その像を安置する小さな社を建て漁業の安全を祈願する所としました。
 それからは、この港から出る北前船はもちろん、出漁する船は遠洋・近海をとわず港出口の戎神社の前を通るとき、船上より平安を祈ってお神酒注いで出入りすることになったといいます。

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