虎御前の墓と長島

2007-01-14 PM 1:50 by oyaji

800余年前のことです。
平家は壇ノ浦の戦いで滅亡したといってよいでしょう。
その戦いの後、義経は朝廷から高い位を授かりました。そのことが兄頼朝の怒りをかい、頼朝は義経に追討の軍を向けます。同時に平時忠を能登の大谷へ流罪にしました。

頼朝に追われた義経は、奥州(岩手県)平泉の藤原氏に身を寄せる途中、安宅関を越え、海路はるばる大谷へ…
時忠の病気見舞いや藤姫夫人(義経第二夫人)をたずね幾日かを過ごしました。
珠洲の須々神社で海路安全を祈り能登を離れます。

夫の跡を慕い身重の姫は山を越えようやく間島の長浜にたどりつきました。
船に乗って義経の後を追いかけようとしましたが、疲れ果て亡くなってしまいます。
彼女をあわれんだ村人は、「長島」に碑を建てました。その墓を「虎御前の墓」といって語り継がれています。

虎御前は源義仲(木曽義仲)の妻として知られていますが、史実の真偽はさておき、伝承は伝承のままで…

「むかしーむかしー、あるところに…」と書き出すには難しい民話ですので、要点だけを載せました。

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