ミュージアム人物列伝 Ⅱ

2018-04-19 PM 12:04 by office

藤波テニスミュージアム人物列伝第2弾です。藤波テニスミュージアムには、とても沢山の方々の歴史と情熱、宝そして涙と感動を感じることができる施設です。

東京ドームには、野球殿堂博物館がありますが昨年初めて見学しましたが、とても素晴らしいものでした。藤波とは規模も違いますがやはり歴史の重みと深い感動を感じることができました。

 さて、写真の人物ですが故 井東節太郎氏です。明治40年頃には能登町 鵜川地区の子供たちが神社や運動場で板で作ったラケットでテニスの真似ことをしていたと記録が残っています。正式な軟式庭球の発祥は氏が大正3年鵜川尋常小学校に赴任し紹介したことに始まっています。本格的なテニスを伝えた氏は金沢の社会人スポーツクラブ「金城団」に所属し、県のトッププレーヤーとして活躍していました。明治43年に東京師範学校に入学し、能登町においては鵜川、宇出津、三波小学校に赴任して軟式庭球の普及に力を尽くした。

大正10年ごろには、鵜川、宇出津、瑞穂、三波で次々と社会人による庭球団が結成、庭球団主催の大会も各地で行われた。宇出津庭球団(のちに牛湾倶楽部として再結成)は井東氏が発起人となり14人で結成された。また宇出津小学校の指導者として、神和住正・馬渡勇組を第3回石川学童大会優勝に導いた。百年目のLOVE ALL より

右のラケットは井東氏が使用していたラケットです。グリップやその形状をみると一見すると硬式のラケットかと思われますが当時は硬式、軟式の区別なくプレイしていたそうです。このラケットについては、ミュージアムの資料整理に大変お世話になった                                   近代テニス史リサーチャー 岡田邦子氏に詳しく調べていただきました。

ラケットの由来                                                                                                        中村継次郞が経営する養老商会の製造販売品であると判断される。石川師範学校を卒業して小学校に赴任後の1914(大正3)年5月~9月の間のある時期に、おそらく研修で東京高等師範学校(高師)に在籍していた井東氏が購入したものと思われる。明治45年創業の養老商会は高師近くの小石川区大塚坂下町で営業していて、輸出も行っていた。

ぜひ、興味のある方一度鑑賞にお越しくださいませ。

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