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ミュージアム人物列伝Ⅴ

2018-09-14 AM 10:24 by office

本日ご紹介するのは、皆さんもよくご存知だと思います。 レジェンド神和住純さんです。(以下純さん)簡単に純さんを紹介すると

法政大学スポーツ健康科学部教授。(2018年3月末で退職) 日本人戦後初のトーナメントプロ選手。1980年から国内7年連続賞金王。1997年から2004年までデビスカップ代表監督。1973年全米オープンで3回戦に進出。これは錦織圭が2008年に進出するまで日本人男子最後の全米3回戦進出だった。ウィキペディアより

大阪なおみ選手の全米制覇によってTV解説で目にする機会も多くなりましたが、純さんが現役引退しスポーツキャスターとして活躍されていたことはあまりご存じないかも知れないですね。(松岡修造さんほどではないですが甘いマスクでとても人気がありました。)

現役の頃の純さんです。いかがでしょうか?父 神和住正氏(以下正さん)が能登町(旧能都町)宇出津の出身で軟式庭球をされており正さんの功績を讃え永年 神和住軟式庭球大会が開催されて来ました。

そして、母 静子さん(以下静子さん)も軟式庭球をされており成績は父 正さんよりもかなり上だったようです。もちろんお二人とも全日本チャンピオンになられておりそのサラブレッドの血筋は純さんに受け継がれたと言っても過言ではないかと思われます。

ところで、正さんは早稲田大学を卒業し東京都庁で働かれたので純さんは東京で生活をされたことになりますが、子供の頃には何度か家族で宇出津の町に来たことがあったそうです。また現役時代にはNHKの取材で当時の宇出津高校軟式庭球部の高校生と体育館で一緒に乱打をして打ち負けないストロークを見せてくれました。この頃の宇出津高校はインターハイ、国体とも団体戦で3位に入る強豪校でいくらプロでも軟式では勝てないだろうと思ってましたが、さすがにやはりプロでした。 負けずに延々と30分以上も相手を変えては打ち続けていました。

純さんと能登町との縁は上記のとおりでその後、正さんの軟式庭球大会に代わりに1999年より神和住純エンジョイテニスと言う硬式テニス大会を町を挙げて開催するようになり今年で19回目を迎えます。その間平成20年からは「能登町ふるさと大使」として能登町の観光PRや町への納税、そしてミュージアムには現役時代に獲得した数々の優勝トロフィーやラケットユニバーシアード大会の貴重銀杯、金杯の他にもご両親の正さん、静子さんが愛用されたラケットや賞状、カップなどを寄贈いただいています。

その一部をミュージアム内の神和住ルームに展示してありますので一度皆さんにもぜひ鑑賞いただけたら幸いです。

今年も来る10月13,14日の両日に神和住純エンジョイテニスフェスティバル2018

が開催されます。こちらにも一度ご参加いただけたらと思います。

 

 

ミュージアム人物列伝Ⅳ

2018-08-19 AM 11:35 by office

 藤波テニスミュージアム人物列伝Ⅳです。本日ご紹介するのはテニス指導者でもなく、プレーヤーでもなく、そして貴重な資料の提供者でもありません。

故 大森稟世(おおもり りんせい)能都町軟式庭球協会長(当時)です。氏は、歯科医として昭和58年から平成4年までの5期10年に亘って会長を務められました、軟式庭球協会長をされる以前には能都町の体育協会長をされたこともある人望と行動力と信念を持っておられた方でした。

軟式庭球協会長になられてからは、「テニスで町起こし」の理念の基、様々なテニス大会を誘致し大会の成功に結びつけて来られました。

能都健民テニスコートが昭和58年に竣工すると翌59年インカレ、60年インターハイ、62,63、平成元年と3年連続の全国小学生大会、2年には国体リハーサル大会としての実業団大会、3年石川国体、4年東日本選手権、全中と毎年全国レベルの大会を開催し全国に「能都町(のとまち)」の名前を発信し続けてきました。

この間、軟式庭球だけではなく今開催している能登町(のとちょう)の  夏の風物詩である関西薬学生硬式庭球大会も昭和62年に誘致し今年で31回目の開催となっています。

氏は、町の活性化のために大会の誘致のみならず、私費を投じて町独自として大会も企画、開催し県のソフトテニス発展に尽力されました。

平成8年8月 この年も暑い夏でした。だままだ「町づくり」の道半ばの68歳という若さで亡くなられてしまいました。氏が亡くなられてからの能都町(のとまち)はここから長い低迷期を迎えることになってしまいました・・・

氏のあらゆる意味での偉大さが、当時も今も強く感じてしまいます。

ミュージアム人物列伝Ⅲ

2018-06-27 PM 2:20 by office

藤波テニスミュージアム人物列伝第3弾です。多くの人物列伝の中で誰を3番目に紹介しようかと悩んでいたのですがやはりこの方しか居ないかなと?故山田良平先生です。(現在の能登校は宇出津高校、能都北辰高校と校名を変えて平成21年から能登青翔と北辰が統合し能登高校となりました。)

山田先生は能登から日本一の選手を育てたいと昭和45年(1970年)から宇出津高校ソフトテニス部の専属コーチとなり石川県高校総体では男子団体10連覇、女子団体6連覇を達成。インターハイでは昭和51年男子団体3位。個人では昭和54年に洌崎満、石田茂樹ペアーで悲願の日本一を達成し宇出津高校の黄金時代築かれました。

先生は大正9年旧鵜川町に生まれ豊島師範学校(現東京学芸大学)に進学しテニスに熱中し東日本大会など数多くの大会で優勝を飾ったそうです。戦後は地元に戻り中学校の教員となるが体調を崩し退職され、スポーツ・書籍用品店を営みながら地元中学生を指導されていました。『テニスばか』になるなが先生の口癖で『テニスをとおした人間づくり』を目標に掲げていました。

その教えは今でも脈々と引き継がれておりたくさんのOB、OGが今でも有形無形で応援し続けています。

昭和60年(1985年)石川インターハイが能都健民テニスコートで開催されたが、その直前に肺がんのため生涯を閉じられたが、先生の功績を顕彰しようということでOB、関係者が中心となり多額の寄附が集まりコートの前に胸像が建立されました。

2021年2度目のインターハイが能都健民テニスコートで開催されます。3年後このコートで活躍する選手もずっと見守り続けて欲しいものです。

テニス/中興の祖

テニス/中興の祖

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