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ミュージアム人物列伝Ⅲ

2018-06-27 PM 2:20 by office

藤波テニスミュージアム人物列伝第3弾です。多くの人物列伝の中で誰を3番目に紹介しようかと悩んでいたのですがやはりこの方しか居ないかなと?故山田良平先生です。(現在の能登校は宇出津高校、能都北辰高校と校名を変えて平成21年から能登青翔と北辰が統合し能登高校となりました。)

山田先生は能登から日本一の選手を育てたいと昭和45年(1970年)から宇出津高校ソフトテニス部の専属コーチとなり石川県高校総体では男子団体10連覇、女子団体6連覇を達成。インターハイでは昭和51年男子団体3位。個人では昭和54年に洌崎満、石田茂樹ペアーで悲願の日本一を達成し宇出津高校の黄金時代築かれました。

先生は大正9年旧鵜川町に生まれ豊島師範学校(現東京学芸大学)に進学しテニスに熱中し東日本大会など数多くの大会で優勝を飾ったそうです。戦後は地元に戻り中学校の教員となるが体調を崩し退職され、スポーツ・書籍用品店を営みながら地元中学生を指導されていました。『テニスばか』になるなが先生の口癖で『テニスをとおした人間づくり』を目標に掲げていました。

その教えは今でも脈々と引き継がれておりたくさんのOB、OGが今でも有形無形で応援し続けています。

昭和60年(1985年)石川インターハイが能都健民テニスコートで開催されたが、その直前に肺がんのため生涯を閉じられたが、先生の功績を顕彰しようということでOB、関係者が中心となり多額の寄附が集まりコートの前に胸像が建立されました。

2021年2度目のインターハイが能都健民テニスコートで開催されます。3年後このコートで活躍する選手もずっと見守り続けて欲しいものです。

テニス/中興の祖

テニス/中興の祖

ミュージアム人物列伝 Ⅱ

2018-04-19 PM 12:04 by office

藤波テニスミュージアム人物列伝第2弾です。藤波テニスミュージアムには、とても沢山の方々の歴史と情熱、宝そして涙と感動を感じることができる施設です。

東京ドームには、野球殿堂博物館がありますが昨年初めて見学しましたが、とても素晴らしいものでした。藤波とは規模も違いますがやはり歴史の重みと深い感動を感じることができました。

 さて、写真の人物ですが故 井東節太郎氏です。明治40年頃には能登町 鵜川地区の子供たちが神社や運動場で板で作ったラケットでテニスの真似ことをしていたと記録が残っています。正式な軟式庭球の発祥は氏が大正3年鵜川尋常小学校に赴任し紹介したことに始まっています。本格的なテニスを伝えた氏は金沢の社会人スポーツクラブ「金城団」に所属し、県のトッププレーヤーとして活躍していました。明治43年に東京師範学校に入学し、能登町においては鵜川、宇出津、三波小学校に赴任して軟式庭球の普及に力を尽くした。

大正10年ごろには、鵜川、宇出津、瑞穂、三波で次々と社会人による庭球団が結成、庭球団主催の大会も各地で行われた。宇出津庭球団(のちに牛湾倶楽部として再結成)は井東氏が発起人となり14人で結成された。また宇出津小学校の指導者として、神和住正・馬渡勇組を第3回石川学童大会優勝に導いた。百年目のLOVE ALL より

右のラケットは井東氏が使用していたラケットです。グリップやその形状をみると一見すると硬式のラケットかと思われますが当時は硬式、軟式の区別なくプレイしていたそうです。このラケットについては、ミュージアムの資料整理に大変お世話になった                                   近代テニス史リサーチャー 岡田邦子氏に詳しく調べていただきました。

ラケットの由来                                                                                                        中村継次郞が経営する養老商会の製造販売品であると判断される。石川師範学校を卒業して小学校に赴任後の1914(大正3)年5月~9月の間のある時期に、おそらく研修で東京高等師範学校(高師)に在籍していた井東氏が購入したものと思われる。明治45年創業の養老商会は高師近くの小石川区大塚坂下町で営業していて、輸出も行っていた。

ぜひ、興味のある方一度鑑賞にお越しくださいませ。

ミュージアム人物伝

2018-04-10 PM 2:34 by office

 藤波テニスミュージアムに関わる大切な方々を少しづつ紹介させていただきます。

まずは、この方がなくしてはミュージアムの建設もなくそして、日本テニスの歴史研究第一人者と言うべき元神戸松蔭女子学院大学教授表孟宏先生についてご紹介いたします。

表先生は昭和5年9月15日生まれ。神戸大学教育学部卒業後、松蔭高等学校、松蔭短期大学、神戸松蔭女子学院大学、神戸松蔭女子学院短期大学にて教諭・助教授・教授を務められました。神戸松蔭女子学院大学では、勝央町出身の文学者 木村毅と肩を並べ教壇に立った。

また、学生ソフトテニス界の名伯楽と謳われ、兵庫県ソフトテニス連盟会長や日本学生ソフトテニス名誉会長を務める。学生には「勝敗にこだわるな。人生もテニスも、ひたすらに業を磨こう」と説いてきた。「体力とか筋力はトレーニングを休むと衰える。しかし、一度覚えた技術はなかなか忘れない」と教え多くのプレイヤーを育てた。その功績から、平成9年には神戸新聞平和賞体育賞、文部大臣体育功労賞受賞。平成22年には神戸市文化賞を受賞。平成23年には瑞宝章を受章。

代表的な著書に、外国語の文献の訳稿をまとめテニスの変遷を綴った『テニスの源流を求めて』(大修館書店)『日本庭球史』など数多くの著がある。

先生が収集したテニス関連のグッズおよそ5000点が平成15年能登町(旧能都町)に寄贈され平成28年5月21日にようやくミュージアムとしてリニューアルし体系づけられて展示されています。

先生は現在、日本ソフトテニス連盟会長の職も退任され神戸のご自宅でゆっくりとお過ごしになられているそうです。昨年のソフトテニス インカレ開催も私の目の前で先生が発せられた『能登町でやろう!』と強い一言で決定したことが今でも忘れられません。

久しく先生にお会いしていないので、今度関西に行く時にはお訪ねしなければ・・・

※表先生を第一人者としましたが、実はもう一人いらっしゃいます。藤波テニスミュージアムの建設にあたって色々とアドバイス、教えをいただいた関東学院大学名誉教授の鳴海正泰氏です。横浜にあるテニス発祥記念館には鳴海先生が個人的に収集された貴重な品々が大切に展示されています。

 鳴海先生は横浜、表先生は神戸。開港ともにテニス・スポーツ文化が日本に伝わって来たことは間違いないようです。東の鳴海、西の表 とはその世界では有名なお二人なんです!

ぜひ、横浜の記念館を見学されそしてこの藤波テニスミュージアムにもお越しくださいませ。

 

 

 

 

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